| 2003.8.24 八郎湖の自然環境とブラックバス釣について考える |
池田清彦氏の講演内容要旨(ゼゼラノートまとめ)
生物多様性のことを議論するのに根本になるのは、原生自然の生態系そのものを価値があるから守ろうという議論と、人間が住み良いために生態系を守るという議論。2つの議論は今でも噛みあっておらず、生物そのもの、多様性そのものが大切だと考える人たちと、そうではなくて、生物多様性を守るというのは人間のためだという考え方があって対立している。
最近は生物多様性条約ができてくるなど、生物多様性そのものを、原生自然そのものに価値があるという意見がアメリカあたりで強くなってきている。日本にもその潮流が入ってきて、学者の中には、生物を保全する、多様性を保全する、生態系そのものが大事という人たちが結構増えてきている。おそらく、ブラックバスのリリース禁止とか、ブラックバスを「害魚だ」「排除しよう」と言う元には、そういう考えがあるのではないかと思う。
私に言わせると、アメリカのように原生自然がいっぱいある、手つかずの山がある、手つかずの森がある、手つかずの湖があるというところであれば、そのまま人間が入れない形で保存しよう、保護しようというのはあり得るが、日本ではほとんど手つかずの山はない。北海道の一部、知床の奥の方、南硫黄島、屋久島の上の方などならば、手つかずの自然だからそのままの形で保存するというのはわかるが、大抵のところ、日本の国土の95%以上は、人間が関与した自然。そういうところを保全するというときには発想を変えないといけない。原生自然そのものを保護するというのではなくて、人間が入って、いかに人間と自然が協調・調和・共存していくかという発想が大事。そう考えないと、自然をちょっとでも変えたらいけないとか、自然を少しでも変えたら悪だという話になってしまうと困ると私は思っている。
外来種の問題というのを根本的に考えると、日本のような国は元々島国で、言ってみれば今から1万何千年前は氷河期で繋がっていたわけだから、日本に入ってきた種というのはほとんど大陸から来ている。もっと極端なことを言うと、人間なんて一番すごい外来種で、1万年前に日本に来て、南から北から来てグチャグチャに混ざって今の日本人ができている。日本人の遺伝子を解析すれば、ものすごく多様性がある。それはいろいろな人たちがコミュニケーションをして現在の日本人があるということ。そういうことを考えると、自然というのはある時点で「これが自然だよ」と保存するとか保全するとかいうことはできない。自然というのはどんどん変わるから、日本にいるいろいろな生物を見ても、昔は日本にいなかった生物は実は結構いる。そういうものが日本に入ってきて、他のもともと日本にいたものと、――もともと日本にいたものももっと遡れば、もともとではなくどこかから来た――、そういうものがコミュニケーションを起こしながら生態系というのは調和してつくっていったというのが、もともとの自然の生態系の姿。日本にいない生物が入ってきて、全部排除しようというのはもともとから言うと、もともとは日本にいなかったものが入ってきて定着して日本の中でゴチャゴチャして、コミュニケーションをして、というのが生態系そのものの姿。外来のものを一切入れないということを考えると、生態系の進化を否定することになるから、これはまずい話。
そういうことを考えると、今の人たちはどういうふうに言うかというと、――最近いろいろな人たちに文句を言われているが――、「人が入れたのはいけない。自然に入ってきたのは良い」という言いかたをする。ただ、昆虫をやっているとよくわかるが、台風の時に蝶が飛んできて繁殖して害虫になってしまったというときに、自然のものだから良いとはならないと思う。同じ蝶を人が入れたら駆除すべきだというのはおかしいわけで、生物というのは人が入れようと自然に入ろうと、調和を乱すものはまずく、そうではないものはまあ入ってきても良い。
昔の人はいろいろ目的のために外来種を入れた。日本の国土を見ても、例えば八郎潟はコメがいっぱいあるが、あれは外来種。コメが外来種だから排除しろと言ったら食べていけない。外来種だから問題だというのは間違い。イチョウも1000年くらい前に中国から入れたもの。実はイチョウは天然の木というのはもうない。人間が植えたものしかないから、人為的なものが駄目だと言うのなら、イチョウは全部絶滅だということになって銀杏が食べられなくなってしまう。そういう発想ではなくて、もうちょっと自然と調和するためにはどうしたらいいのかという発想をとらないとまずい。そういうことを考えると、外来種だからダメだということではない。
もう1つ、入ってきた外来種がどうなるかということを考えると、多くの外来種は入ってきた時こそ爆発的に増えるが、しばらく経つと他の在来種とコミュニケーションをして、競争とかいろいろなことをして、ある程度落ち着いていくというのが一般的なパターン。ブラックバスは今のところどうかわからないが、例えば昔東京の街路樹でアメリカシロヒトリという小さなガがいた。これは1950年代、1960年代には街路樹を片っ端から食いつぶして、とんでもない大害虫だった。どうしようどうしようと言っているうちに、なぜか知らないが1970年代くらいになるとあまりいなくなって、今はあまりいない。アメリカシロヒトリと言っても最近の子は知らないし、東京の街路樹は食われてないし、おそらくアメリカシロヒトリは何らかの理由で在来の生態系の中で許容されて、頭を叩かれて、絶滅はしていないけれども害虫と言えるほどの数はいない。収まってしまった。たぶんそれは鳥がアメリカシロヒトリを食うのを覚えたから。ムクドリとかシジュウカラがアメリカシロヒトリを食べるので個体数が減って、それまではアメリカシロヒトリはわけのわからないモターッとした巣をつくるので鳥が見ても何だかわからなかった。見たことがないからどうやって食ったらよいかわからなかったのを、食べ方を見つけた鳥がいて、みんなそれを真似してそれで減った。そういうことを在来の生物たちも馬鹿じゃないからやる。そういうのは凄く多くて、昔セイタカアワダチソウという草が東京都の空き地という空き地に生えていた。セイタカアワダチソウが無茶苦茶でと言っていたが今はほとんどいない。あれは何かの加減で頭を叩かれて、大したことはない。そういうのは凄く多い。今現在もの凄く増えている、もの凄く大変だ、だからすぐ駆除したら良いかというものではない。ほっておけばもしかしたら下火になるかもしれないし、それは調査してみなければ実はわからないということがある。
ブラックバスも、八郎潟はどうかわからないけれども、例えば聞くところによると霞ヶ浦ではどんどん減っていて、今はあまりいないという。今はナマズがいっぱいいるという話をさっきしていたが、おそらく、生態系だからどんどん変わる。今はナマズがいるからそれを駆除しろと言っても、ナマズの次にまた変なやつがくるかもしれない。もっと言えば、駆除をするということは、生物というのは、特に魚にように、これはr-strategist(アール・ストラテジスト)と専門的に言うが、卵をたくさん産んで一気に増えるという能力をもっているものは、獲ったら獲った分もっと増える。だからある人にいわせれば、これは僕の友達の生態学者に言わせると、なまじ獲ると、反動でもっと増えることだってある。そういうことはやってみなければわからないけれども、調査する必要がある。だからいきなり、例えばブラックバスがヤバイからとにかく捕獲しましょうとやったら、もっと増えるという可能性もないわけではないし、それはわからない。だから、そういう科学的な調査を最初にするべき。それで、ここの生態系にはブラックバスはいらないのですかと。だけれど、八郎潟みたいなところはもともと自然生態系ではないのだから、自然生態系ではないところで外来魚が来たとか何が来たとか言っても、「まぁしょうがないよ」と僕は思う。だからその辺はいろんなことですこし考えた方が良い。
それから、どんなこともそうだが、いろいろなことを政策をするというのはプラスの面とマイナスの面と2つある。ブラックバスも、ブラックバスで食べている人やブラックバスを楽しんでいる人がいる。全部いなくなってしまったら、その人の楽しみと、それで食べている人の生活を奪うことになる。そういうデメリットがどのくらいあるかということを考えて、ブラックバスがいなくなったことによって、今度はそれで儲かる人がいる。例えば琵琶湖でブラックバスがいなくなったら、ブラックバスの代わりの在来の魚を獲って儲けている人たちがいる。その人たちがどのくらい儲かるかという、それを量りにかけて、どっちが重いかということを考えないで、いきなり外来種はダメだと、やっつけちゃえみたいにやるのは問題。
そういういろいろなことを考えると、この問題は政治の問題と科学の問題と、2つの問題がグチャグチャなっていて、なぜか知らないが日本の科学者というのは、生態系を保護するというのはとても良いことだと思っているけど、それはもちろん悪いことではないけれども、そのための手段を考えなければ金ばかりかかってどうしようもない。そういうことを考えていない――科学者というのは経済オンチだから――。例えば日本生態学会とか日本魚類学会とかがいろいろな政治的な声明を出しているが、僕は日本鞘翅学会とか日本生態学会とかに入っているが、それに文句を言って、「おまえたちは学者なんだから学問をやって政治に関わるんじゃない」と言っている。だから、日本鞘翅学会がなんで外来魚の反対の声明を出したりするんだと、関係ない、虫の会、昆虫の会ですよ、昆虫の研究だけやってればいいと言うが、それは科学と政治がゴッチャになっている。科学は何をするかと言うと、例えばブラックバスをここに放したときはこうなってこうなってこうなりますよと、予測とか、調査とか、その結果どうなるというようなことをやるべき。それを、放すなとか、釣るのを禁止するとか、リリ禁にするというのは学者のやることではなくて、普通の人がいろいろな利害を持って、考えて、一番良いところに決着して、政治的に決断すること。そういうことを学者が言うというのは僕はちょっと違うと思う。
そういうようなことを整理されていないまま、日本の国はただひたすら外来種はいけないと言う。僕は「外来種排斥原理主義」と言うが、そういうことをやっているというのはちょっとまずい。だから、利害の絡むところは、一堂に会して、私の意見、あなたの意見、私の要求、あなたの要求、私の儲け話、あなたの儲け話を調整して、ある程度落とすところに落としていって、そのためにどうしたら良いかというのを科学者がやるべき。そうではなくて、科学者が「こういうことをしたらいけない」「こういうふうにしたらいけない」とか、今、日本魚類学会とかがブラックバス全滅させろみたいなことを言っている。ブラックバスを絶滅させるためにはどれだけ金がかかるか試算してみろと。たぶん5兆くらいかかるのではないか。そんな金、誰が払うんだ、俺の税金だろという話になる。だからそのへんを考えてもらいたい。